旧岩邊邸

国登録有形文化財


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○旧岩邊家(正確には塩坂家・岩邊家住宅)は、旧蒲原宿の西の街道沿いに建つ町家で、主屋(安政5年<1858年>頃建築)と離れ(大正後期移築)、土蔵(昭和2年頃)から構成されます。

○主屋はこの地の名主をつとめ大地主であった塩坂周蔵が主屋を名古屋から大工の名工を呼び寄せて建てた建物です。なお棟梁は15歳とのこと(多分名代で後継者)。ただしその下に腕利の職人が来て、長期逗留して建設。塩坂家の系統は奈良時代の奈良に起こり、平安時代の坂上田村麻呂征夷大将軍に縁ある系統でこの地に根付いた一族と聞きます。

○周蔵の顎は忠兵衛、そしてその後を国松が家督を継いでいます。昭和9年、国松アメリカからの帰路の船上で亡くなり、後をアメリカ在住の長男の義雄が引き継ぎます。国松がアメリカを訪問中、この家が留守となっている間に、国松の親戚(義理の兄の婿養子)の岩邊平吉・弥之助父子が住み始めたと聞きます。昭和17年には登記簿で所有権が岩邊弥之助に移っています。

宮内大臣を12年つとめ明治天皇と最も近い存在で財政界に力を発揮した明治維新の志士としても最も長く生きた、田中光(たなかみつあき)が晩年蒲原に住んでいた時に、いろいろ世話をして親交を深めたのが岩邊父子でした。

○田中光顕が亡くなるまで21年間、最も親しい存在で田中光顕を訪ねる訪問者が一時待機する場所としても使われました。

○岩邊弥之助は田中光顕と会った時が17歳で、田中光顕に可愛がられたと言われ、その影響を強く受けました。

○庭園はまさに田中光顕の別荘(青山荘)の庭の影響を受けて造園されたことがうかがえます。

○離れは東京電力の前身の東京電燈創始者の一人で初代社長の矢嶋作郎が明治22年に蒲原の東山に建てた別荘の和館部分を大正14年に移築したもので、渋沢栄一の信頼する事業協力者でもあった矢嶋作郎関連の現存する建物としては数少ないものです。(洋館は富士市に移築されて現存)。

○この屋敷は昭和37年から6年間、JTB主催の東京から京都への外国人バスツアー「Tokaido Adventure Tour 」の立ち寄り処となって、世界中から(西洋のみならず、南米、南アフリカからも)、13,000人もの外国人旅行者が訪問した。

〇近世蒲原宿の風情を伝える貴重な町屋として、平成31年に主屋と土蔵が、登録基準の一「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、離れが、登録基準の二「造形の規範となるもの」として評価され、国登録有形文化財として登録されました。

最新 ニュース   2023年    4月 30日15時、  えるの庭でオートロス・ノンブレス  https://www.instagram.com/otros_nombres_musica/  のミニコンサートを開きます。 チラシ


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主屋での催しの一例 妖怪道  2020  ( コロナ禍の中、スパックの俳優さんが夏8夜公演)  や滞在したスイス人夫妻の講演会

庭の風景